足利花火大会の未来へ

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2年続けて地元の「足利花火大会」会場を広範囲にリサーチした結果、僕は一つの結論に達した。それは一般論としては「イベントとはイベントのクオリティはあんがい関係なくて、生活に身近なところで定期的かつ自由に参加できるかどうかで認知と参加意欲が決定される」というもの。

それを具体的に足利花火大会に落とし込んでみると、下の写真の情景が全てを物語っていると考えられる。

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上の写真を見れば一目瞭然なのだが、肝心の花火はビルに邪魔され、花火そのものを見物するには「ここ」はあまり適した場所でない。
にも関わらず当日解放されたこのスーパーの駐車場には、家族連れを中心に大勢の見物客が。もはや花火を堪能することが目的ではないのではないか?

花火大会そのものの質が劣化したという意見もあるが、「地域イベント」として捉えると、重要なのは花火大会の質ではなくて、その花火大会(イベント)をどう自分(や家族や友人・恋人)に引き寄せて、生活や人生の節目としてのイベントに落とし込めるかどうかなのではないだろうかという推察が可能となる。

つまり、この写真の見物客に「今年の花火、どうだった?」と訊ねても無意味だろうということ。

「花火は見ていない」しかし「花火大会がないと困る」
この矛盾を肯定的に呑み込めないと、地域振興というものは明後日の方向に向かってしまうと僕は考える。

もう一歩、踏み込んで推察し、提案してみよう。
「足利花火大会とは、花火を見る見ないに関係なく、市民や近隣住民が朝からそわそわして仕事も学業も家事も手につかない、そういう一日」であるべきなのではないか?

畳み掛けて述べるなら、足利花火大会はそういう一日にすべきであって、関連イベントを前日で終了させてしまうことこそが実はナンセンス、もっとはっきり言ってしまえば愚行であると。

想像するに「花火大会には花火を見てほしい」という希望なり思惑なりがあっての現在なのだろうし、うがった見方をさせていただければただでさえ大変な花火大会当日に追加でイベントをやりたくないという行政・会議所関係者の気持ちも加味されての結果なのだろうが、「肝心の花火を見ていない」これほど多くの見物客の存在を無視することが、人口減少や諸問題で悩める地方都市の正しい「再生」の方向性なのだろうか。

以上を元に、具体的な提案を箇条書きにしてみると、
(1)ホコ天や自由に落ち着いて見物できる区域の拡大
(2)会議所主催、花火大会当日イベント開催
(3)市民以外への大会全体像の告知
この3点に尽きると僕は考える。

(3)については、例えばJR足利駅に降り立った多くの市外の見物客は、北口から南口への地下通路を通る(ちなみに中心市街地へは一切回遊しない)。ところがこの地下通路には一枚も足利や足利花火をPRする掲示物がない。

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上の2枚の写真は2013年に撮影したもの。改札口から出てきた見物客が迷うことなくこの先にある地下通路へと吸い込まれていく。

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また、上の写真はJR足利駅南口から田中橋へ至る高架橋であるが、実に多くの見物客が上るこの高架橋の終点に、例えば「ようこそ足利花火大会へ!」と書かれた横断幕を掲げるだけでも足利市のPRになるのではないか。

いずれにしても僕が2年続けて自分の足で見て回った知ったのは、花火の楽しみ方は本当に様々であるということ。そして正しい花火の見方・楽しみ方などというものは存在しないし、みな自分らが最も楽しめる場所や時間を選択しているのだということ。

最後の写真も2013年のもの。
2013年の夏の2人にとって、足利花火大会の最良の見物ポイントは、ここだったのだ。

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この記事を書いた人

尾内 繁夫
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監事 尾内 繁夫

1961年生まれ、栃木県足利市出身。介護サービス会社を経営。対人援助に興味を持ち産業カウンセラーの資格を取得。メールカウンセリング・対面カウンセリング・DV(ドメスティックバイオレンス)被害者サポート活動などに携わる。社会活動としては(財)骨髄移植推進財団 地区普及広報委員・東京都がん患者療養支援事業ピアカウンセラーなどに従事したのち、2010年にNPO法人コミュニケーション・ラボ(現 NPO法人コムラボ)を設立。趣味は音楽鑑賞、美術鑑賞、映画鑑賞、読書、一人旅など。猫好き。座右の銘は「足るを知る」。