Pray for Japan please please please !!

今週の火曜だがねは、
震災から考える足利という
テーマでお送りしました。
初めて、皆さんから、
お便りを募集させていただき、
読ませていただくという形で行いました。
たくさんのメッセージをいただき
大変うれしく思っております。
ありがとうございました。
至らぬ点が多々、ありましたこと
お詫び申し上げます。

なんとなく、自分のお話も用意しておいた
ほうがいいのかな?
と考えていたことを、ここに記載します。
地震発生から、翌日までの私の家族のことを。

この地震、停電で、
私を、そして家族を
助けてくれたのは、iPhone(+エネループ)。
そして、twitterでした。
この話を中心に書きました。

私の家族は、5人家族。
地震の時点で、
私、母、祖父は、会社で仕事中。
父は、都内に向う電車の中。
妹は、都内で勤務中。
という状況でした。

地震直後、停電。
ケータイはパンク状況の中、
父と妹が、連絡を取り合うべきだと思い、
twitterは繋がるとわかった私は、すぐに、
父と妹のtwitterアカウントをお互いに伝え、
連絡をとるようにと伝えました。
(私だけ、父と妹のアカウントを知っていたのです。)

私は
停電の中、自宅に帰ってみたけれど、
ラジオはあるけど、電池がない。
そこで、近くのコンビニへ。
すでに、乾電池は売り切れ。
しかし、自宅のラジオは特殊な電池を使用していたため。
購入はできたのですが、私じゃ、電池の入れ方がわからない。。。
30分くらい格闘したけど、諦めました。
(後々、父が帰宅してから、わかったけど、
結局、断線してた。。。)

そこで、残り少ない電池のiPhoneの出番です。
(この時点では、いつ復旧するかわからない停電に備えて、
エネループは温存すべきなのか、ばかり思考していました。)
で、母のiPhoneでradikoを聞いて、情報を得ながら、
#ashikagaで地元の情報収集をしつつ、
父と妹の連絡を待ちながら、
眠れない夜が更け、朝を迎えました。

後から、聞いた話ですが、父は、
鐘淵駅で、電車をおろされ、
北区に住む妹の家まで歩くことに。
ここで役に立ったのも、iPhoneです。
googleマップで帰宅ルートを検索して、
10キロの道のりを歩いたそうです。

電気が6時すぎに復旧して、
私は、まず、会社へ。
被害状況を知ったことで、
私の会社の製品が、支援物資になることを
理解し、すぐさま会社へ向ったのでした。

というのが、地震発生から電気が復旧するまでの
出来事でした。
これからも続くと思われる
計画停電をどうやって、
過ごすのかが、今の私の課題であります。
時間は有限なのです。

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理事 増子 春香

栃木県足利市生まれ。家業である北関東唯一のラムネ製造会社である株式会社マルキョーの工場内にCfa Backyard Winery(ワイン醸造所)を立ち上げる。醸造家として日々、奮闘中。2012年、エノログ(ワイン醸造技術管理士)取得。サブカル女子、マカー。一児の母。おいしい かわいい たのしいへの好奇心が活力。