少し前の足利その2

足利市民で西洋建築が好きでこの物件知らない人がいたらこの記事読んで歯が砕けるほどに歯ぎしりすることでしょう。
そんな、今では信じられないような話。

2014-06-10 20.16.47

 

東京は内幸町にかつてあった藤島歯科医院。
大正8年に移築され、足利市の両野工業(株)山前工場事務所として使われ後に明治機械(株)足利工場事務所となる。
塔屋が備わっている瀟洒な木造建築で全国の「貴重な建物2000棟」の1つにも数えられている。それが!

2014-06-10 20.18.32

平成6年に明治村に移築。その事実をポジティブに紙面トップで伝える広報誌なのだけど、僕は偶然この経緯を知っている。
この物件を所有していた会社は工場拡張のため旧事務所を撤去する決定をし、その際足利市に譲渡を打診していたのですね。しかし足利市は予算がないということで辞退。そこで会社は明治村に譲渡したわけです。
せっかくの好意を無にしたわけだから、そりゃ広報誌の表現もポジティブさを装わざるを得ない。

これ以上書き続けると興奮して熱がでで寝込みそうなのでおしまいにしますが、平成6年、足利市はすでに観光に力を入れ始めていた時期だという事実に、足利市民のみなさんは何を思うでしょう。

あ、歯ぎしりされてる方は歯が欠けないていどに…

この記事を書いた人

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監事 尾内 繁夫

1961年生まれ、栃木県足利市出身。介護サービス会社を経営。対人援助に興味を持ち産業カウンセラーの資格を取得。メールカウンセリング・対面カウンセリング・DV(ドメスティックバイオレンス)被害者サポート活動などに携わる。社会活動としては(財)骨髄移植推進財団 地区普及広報委員・東京都がん患者療養支援事業ピアカウンセラーなどに従事したのち、2010年にNPO法人コミュニケーション・ラボ(現 NPO法人コムラボ)を設立。趣味は音楽鑑賞、美術鑑賞、映画鑑賞、読書、一人旅など。猫好き。座右の銘は「足るを知る」。